サハラ砂漠縦断回想録(6)-4つの選択肢

2002年1月の話です。

ヌアディブの南は、首都ヌアクショットまで500kmほど町がありません。

今Googleマップで見ると道がつながっているけれど、この道路ができたのは2005年のことだそうなので、当時はただただ荒野が広がっていただけです。

ここをどうやって越えるかが、サハラ砂漠大西洋岸ルートの最大の難関でした。

選択肢1:ヒッチハイク

ヌアディブでは、「キャンピングホテル」というスタイルのところに滞在していました。

主にマイカーで砂漠越えをする人のための宿で、塀で囲われた敷地に車を乗り入れることができて、客室は相部屋になっています。

自分と同じ日にダクラから移動してきたヨーロッパの方たちもいっしょに泊まっていたので、まずここでいろいろ話を聞くことができました。

ヨーロッパで車を買って、自力で砂漠を越えることができれば買った値段よりも高くで売れるので、その差額で旅を繰り返すことができるということ。

砂漠はどこでも自由に走れるわけではなくて、地形的に通れないところもあるので、現地ガイドを雇わないとうまく抜けられないということ。

そして、ヌアクショットまでの移動の間に2泊するということ。

ダクラからここまでと同じように、この方たちの車に乗せてもらうこともできたとは思うんですが、お世話になりっぱなしだと申し訳なさすぎるのでこの選択肢はなしとしました。

選択肢2:貨物列車

前回出てきた貨物列車に乗ってアタールという町まで行けば、そこからヌアクショットまで舗装路でつながっているらしいという情報がありました。

選択肢3:パブリックカー

砂漠を越えてヌアクショットに向かう「パブリックカー」というものがヌアディブの町から出ているという情報がありました。

選択肢4:飛行機

町を歩いているとプロペラ機のようなものが飛んでいるのを見かけたので聞いてみると、飛行機でヌアクショットに行くこともできるようです。

さいころを振ってみる

当時ほぼ毎日ネットカフェに通っていて、自分のホームページの掲示板にリアルタイムで生存報告をしていたんですが、その掲示板にはアクセスカウンターを設置していました。

選択肢2〜4のうちどれにするか、翌日開いたときのアクセスカウンターの数値を3で割ったあまりで決めようと掲示板に投稿。

その結果、パブリックカーが選ばれました。

苦手なフランス語での情報収集だったので、その時点ではそれがどんなものなのか正直よくわかっていませんでした。

サハラ砂漠縦断回想録(5)-ヌアディブの町

2002年1月の話です。

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ヌアディブの町を歩いていると、長い列車が走っているのを見かけました。

内陸のズウェラ鉱山からこの港町ヌアディブまで鉄鉱石を運んできているとのことですが、帰りは貨車が空になるのでそこに無料で乗れるのだそうです。

西サハラとの国境からここに来る間に車で越えた線路は、この鉄道のものだったみたいです。

何年もたってから知ることになるけれど、これが世界一長い列車なのだそう。約200両編成で長さ2kmほど。

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ヌアディブはモーリタニア第2の町ということなんですが、鉱山の積出港になっていることでかろうじて人の住んでいるようなところに見えました。

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ダクラもそうだったけど、この町は衛星通信でインターネットとつながっていて、ちゃんとネットカフェもありました。

あと、この町では中国人の評判が相当悪いらしく、自分も中国人と思われたからか、何もしていないのに子供から石を投げられそうになりました。幼稚園バス?の子から中指を立てられたりも。

サハラ砂漠縦断回想録(4)-砂漠のカーチェイス

2002.01.05(土)

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西サハラ・モーリタニア国境で朝を迎えました。

いきさつを覚えていないんですが、ダクラから乗せてもらっていた車はここ以降なぜか思い出に登場しません。

国境のキャンプ地からモーリタニア側の入国手続きをする建物までは少し離れていて、そこまでは別の車に乗せてもらって移動しました。

場所はここかな?だとすると西サハラ(モロッコ)側の施設から4kmぐらい。

手続きの間、車にバックパックを置いていたんですが、自分が戻る前に車が出発してしまいました。
待って!!

あわてて近くにいた車の方に話をすると、乗せて追いかけてもらえることに。

おかげで無事に追いつくことができて、荷物も取り戻せました。助かりました!!

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結局ヌアディブまで、そのままこの方の車に乗せてもらうことになりました。

途中踏切のないところで線路を横断するんですが、レールを乗り越えるために一時的に車高を上げるしくみが車に備わっていてびっくり。車内からレバーで操作できます。

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車からの写真のタイムスタンプからすると、この日のヌアディブ到着は夕方だったようです。まだ日は暮れてなかったと思うので。

追記 2023-08-11

リアルタイムメモが見つかったので、細かい時刻を補足しています。

サハラ砂漠縦断回想録(3)-西サハラ・モーリタニア国境

2002.01.03(木) ダクラでの事前手続き

まったく記憶にないんですが、この日に警察本部(Hôtel de Police)に出国のための手続きに行っています。証明写真を提出したり。

2002.01.04(金) ダクラ出発

モーリタニアへの国境が開くのが火曜・金曜ということで、町の出口に向かいました。

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コンボイ(護送車団?)を組んで移動するので、この日出国する車がいったんここに全部集まっています。「24台」という数字がメモには残っています。

その中の農産物を運ぶトラックに乗せてもらおうと話をすると、その家族の方の乗るセダンに乗せてもらえることになりました。モーリタニア最初の町のヌアディブまでで750ディルハム。当時のレートを調べてみると、7500円ぐらいだったようです。
(事前には相場は6000円ぐらいだと聞いていました。)

車団が一斉に出発したのが11:32。リアルタイムメモが残っているのはここまでです。

2002.01.04(金) 国境

ダクラから300kmほど離れた国境施設に到着したのは日暮れ前でした。石づくりの小屋があって、この日はここで夜を明かします。

ヌアディブにはこの日のうちに着けると思っていたので、食料としては500mlの水しか持ってきていませんでした。

何も食べていないのを見かねてか、スペインの砂漠越えチームのAlicante Dakarの方が夕食に誘ってくれて、ワインとかいろいろごちそうになりました。めっちゃありがたいです(>_<)

追記 2023-08-11

リアルタイムメモが見つかって細かいまちがいもわかったんですが、この日の日記は修正せずに別のエントリとして補足しています。

サハラ砂漠縦断回想録(2)-最果ての町ダクラ

2002.01.01(火) ダクラ到着

西サハラの首都ラユーンからバスで10時間ほどかけてダクラに到着しました。公共の交通機関で来られるのはここまでです。

テロリストの警戒をしているからか、途中4回検問がありました。

当時の外務省の危険情報は今とあまり変わりがなくて、ダクラまでの道路がレベル1で、その周りは地雷原だということでレベル3。

ずいぶんものものしいけれど、現地の方の情報で特に問題ないという話だったら大丈夫という判断をしようと思っていました。逆に、外務省が危険情報を出していなくても、現地で危ないという話を聞けば引き返すこともやむなしと。

当時のメモに残っていた宿は今もまだあるようでびっくり。

この日の夕食のときに、食堂のテレビでキャプテン翼を放送していました。声優さんがめっちゃおっちゃん声だったことが印象に残っています。

2002.01.02(水) 情報収集

この西サハラから南のモーリタニアに陸路で抜けられるという話はすでに聞いていました。ということで、具体的にこのダクラでどうすればいいのかの聞き込みです。

西サハラは非独立国で、モロッコの一部ということになっています。

モロッコのメジャー言語はアラビア語とフランス語で、スペインから船で渡ってすぐのタンジェの町ではスペイン語も少し通じていたけれど、南に下るにつれてだんだん通じなくなってきていました。

大学のとき、本命の第2外国語のスペイン語が自分のいた学部では卒業単位と認められなかったので、卒業単位のためにフランス語を第3外国語として取っていたけれど、情熱が薄かったこともあってだいぶ苦手(>_<)

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町の出口の方に行けば何かわかるかなと思って歩いていると、モハメッドさんという英語のできる方と出会いました。このブロックの家に住んでいるそうです。

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おじゃましまーす。

モハメッドさんによると、モーリタニアとの国境が開くのは、火曜・金曜の週2回だけ。町の出口に11時〜12時ぐらいに行けば、国境を越える車が集まっているからそのどれかに乗せてもらえばいいとのことでした。

ありがとうございます!

ダクラは半島の町なので、北に行くにも南に行くにも同じ出口から出ていくことになるけれど、今となってはそれがどのあたりだったのかがわかりません。

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