国会図書館の図書別室にある本

2月末に初めて国会図書館に行ったときから

この本をアカウントのマイリストに入れていたんですが、ずっと「作業中」になっていて借りられなくなっていました。

今月に入ったぐらいに見ると、その作業が4/16までという情報に更新されていたので、今日やっと借りてみました。

いつものシステムで注文すると、本館3Fの図書別室という特別な部屋で準備されていて、ここで借りた本はその部屋から持ち出せないようになっていました。

「この本、保存状態がよくないので、複写はできません。」

特にぼろぼろには見えなかったけど、もともと図鑑のような装丁で、ページの紙が一部はずれそうにはなっていました。4/16までやってた作業って、デジタルアーカイブに収蔵するための撮影かなとなんとなく思ってたけど、形を保たせるための修復作業だったりしたんかな?

脳での記憶の保存のされ方

池谷裕二さんの脳科学の本は、出たらだいたい読んでいます。

でもなぜかこの本だけ(?)はずっとKindle版が出なくて、Amazonのほしい物リストの底に最初期からずっと居座り続けていました。

それを今週国会図書館で連日借り続けて、ようやく読み終わることができました。おもしろかったー!これKindle版出たら買うわー。

この本は中高生とのやり取りを収録したものということで、一般向けの本よりもやさしい内容なのかと思ったら、現役ばりばりで化学や生物を勉強している人たちとの対話ということで、逆にいつもより専門的なところまで掘り下げられた話になっていました。

記憶って、なんとなく脳の中では電気的な動きの中に保持されているというイメージを持っていました。パソコンでたとえると、RAMに入っているような。なので、一度全停電のようなことが起こると、動きがなくなってしまうので全部失われるのかなと。

でもこの本によると、脳の最小単位の神経細胞は、ごく単純なルールに従ってお互いのつながりを強くするか弱くするかを変化させていて、そのつながりの強弱自体に記憶情報が含まれているということでした。
(「興味ある人はこのあと残って」のくだりから続く巻末付録の数学の行列の話より。何度も経験したことはしっかり思い出せて、経験の浅いことはふわっとしか思い出せないということも、ごく簡単な数学モデルでシミュレーションできてしまうという実験。)

ここからは勝手に思ったことやけど、死んだ人からフレッシュな状態で脳を取り出して保存できれば、たとえまったく動いてなくても、それぞれの神経細胞のつながりの太さから全記憶が吸い出せるということになりそう。原理的には。

確かアインシュタインの脳ってどこかに保存されてたと思うけど、あれから何か記憶が取り出せてしまったりするんかな。

休みの入れ方

昨日でクラヴマガ初の週4通いを達成。もう体が動かない(>_<)
週4って、体感で週3の倍ぐらいしんどいけど、数学的?にもこれわかる気がします。

デイタイム会員が通えるのは火水木金。1日通うと疲労が1蓄積して、1日休むと疲労が1回復するとします。ざっくり。

週3のときは、水か木に休みを入れていたので、たとえば木を休むと

  • 火(通い):疲労0→1
  • 水(通い):疲労1→2
  • 木(休み):疲労2→1
  • 金(通い):疲労1→2

こんな感じで、一番疲れているときでも疲労は2になります。それが週4になると

  • 火(通い):疲労0→1
  • 水(通い):疲労1→2
  • 木(通い):疲労2→3
  • 金(通い):疲労3→4

となって、最大値は週3の倍に。

実は先週に週4チャレンジをしようとして火水木連続で通ったんですが、そこで風邪みたいな症状が出てきたので中断。同じ週3でも、間に休みを挟まないことで疲労3という未体験ゾーンに入ってしまったってことかなと思っていました。

思い返してみると、去年のおためし旅行1のときも熱が出たのが3日ぐらいしっかり歩き回ったあと。

日記には書いてないけど、おためし旅行2でもダラットで風邪の初期症状みたいなのが出始めたのが移動日から3日目ぐらい。1月のラオスでもそんな感じ。

どれも「1日分としてはほどよいかな」という運動を繰り返している感覚で、3日目もふつうにできそうに感じてしまうんですが、旅先ではあまりその体感を信用せずに強制的に休みを入れるようにした方がよさそうに思えてきました。

同じ町にゆっくり滞在せず、到着日の翌々日にはもう次の町に移動するというコロナ前のあわただしいスタイルが実は体には優しかったのかも。移動日に乗り物に揺られるのが強制的な休息になってて。

格闘技医学

クラヴマガでファイティングスタンスをとるとき、前に出す方の足はまっすぐ前に向けます。

これ、ボクシングだと少し内側に向けて立つのだそうですが、なんでちがうかというとクラヴマガは相手がキックをしてくることも警戒しているから。内側に向けてしまうとローキックを受けたときに弱いのだそうです。

当然のことながら、ボクシングは相手がキックをしてこないという前提の競技なので、前提がちがうから採るべき最善の戦術も変わってくるということのひとつの表れになっているようです。

クラヴマガが一般の格闘技全部(?)とちがう前提としては、相手が何のルールにも縛られない動きをするとか、相手が1人とは限らないとかいろいろあるんですが、こちらに戦う意思があると相手が思っていないケースも想定しているというのがあります。

それで、多少威力を犠牲にしても最速で不意を打てることを優先したモーションを取ることがあるんです。「抵抗しませんよー」と見せかけつつの攻撃。

クラヴマガとは全然別件の興味で1年ぐらい前に買った本を今読み返しているんですが、不意打ちにはこの本にある「伸張反射」が応用できるんじゃない?と思って試したりしています。
(パンチは最短距離で打つと脊髄反射でブレーキがかかってしまうので、一瞬ちょっと引いて打ったほうが速く打てるという話。)

「速い」というのが、打点での最終速度だけの話なのか、スタートからゴールまでの時間がちゃんと短くなってるのかはなんとかして検証したいと思っているけど、5月からやめるという退会届はもう出しているのに、最近「なんでこうなってるか」とか「こうやったらどうなるの?」とかがめっちゃおもしろくなってきてこまります。

だまされたと思って

何かの効果に疑いを持っている相手に、その「何か」を試してもらおうとするとき、「だまされたと思って試してみてよ」みたいな言い回しが使われることがあるけど、これまえまえから意味がわからなかったです。

だまされたと思うことは、試してみようと思う妨げにしかならないんじゃないの?仮にこの言葉に背中を押された人がいたとしたら、その人は実際だまされたと思ってみたからなん?

自分なら「だまされたとしても話のネタにはなるよ」だったらやってみるかも。

今となってはただの慣用句だとしても、最初にこの言い回しを使った人には何かそれなりの意図があったはず。

「だまされたと思って、いっぺんやってみてや。」
「いやいや、だまされたと思ったらやらんやろ!しかもやってみる前やのになんで
『だまされた』って過去形やねん。二重で意味わからんわ。まあ、やったるけど。」
「やるんかい!」

というツッコミ待ちのボケで場を和ませる展開を狙ったんかな。関西発祥説。