中国中原の旅(18日目)-3600年の都@郑州

郑州(鄭州)4日目の朝です。これから武汉(武漢)に移動します。

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郑州站のすぐ東の旧市街地っぽいあたりに殷王朝の都の史跡があります。

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周囲には堤(?)も。

3600年ぐらい前に都だった町が今もしっかり都会なのは、ざっくり言えば場所として使い勝手がいいからってことなんやろなあ。空き地にしておくのはもったいないので、ほっとかれなかったというような。

西安や洛阳(洛陽)を京都や奈良にたとえると、殷王朝の都って飛鳥みたいなところだとも言えると思うけど、飛鳥は今は田園風景の村です。こちらも個人的にけっこう好きな場所やけど。

交通の要衝でもない不便な場所に都を置いた、当時の日本の事情を想像するのもなかなかおもしろいです。

中国中原の旅(17日目)-水属性@郑州

郑州(鄭州)3日目の朝です。

予約はまだですが、予定としては最終日まで行程を決めました。

ここ郑州までが黄河中下流域の旅で、このあと長江を中流域から河口の上海までたどっていくことになります。水属性強めです。

近寄りがたい黄河

黄河は長江とちがって近寄りがたい川なので、市街地から気軽に見に行けるところはなかなかないんですが、地図で見ると郑州からも比較的アクセスしやすそうだったので、ここでもまた見に行ってみることにしました。

このだいだい色の縦の地下鉄7号线でぎりぎりまで近づけそうやなーと思っていたんですが、実際行ってみると北の端まで完成してなくて、东赵が終点でした。

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东赵からバスで行こうと思ってバス停で待っていたんですが、そこで郑州ではAlipayのバス用QRコード切符が取れないということに気づきました(>_<)
たまにある人民IDが必要なパターン。

哈罗のシェアサイクルの営業エリアは东赵あたりが北端。歩くと往復12kmぐらい。

行けなくはないけど、そこまでして見に行くものではないかなということでここで撤退!

お気に入りの町

前回の満洲の旅は、长春という町の存在を知れたということが大きな収穫だったけれど、今回近いポジションになりそうなのがここ郑州。時間がないので3泊で次に行くけれど、あと2泊ぐらいしたかったなあ。

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中国の公園って、自転車乗り入れ禁止になっていることが多いんですが、ここは水辺の公園でもサイクリングができます。

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デイキャンプをする人も。

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水辺以外もなかなか気持ちがいいです。

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あと微妙に便利なのが、地下鉄駅は改札の外にもトイレがあること。今まで出入りした駅全部にあったと思います。

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今回泊まっている宿は、1泊1000円台なのに朝食ビュッフェがついてました。日本とちがって、開始時刻に行ってもほかのお客さんがいないのは中国あるある。あんなに客室あるのに?

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小学校が福建土楼風なのは何やろか?客家リスペクト?

中国中原の旅(16日目)-再びの河南省@郑州

昨日徐州から郑州(鄭州)に移動してきて翌朝です。先日訪れた洛阳(洛陽)のある河南省の省都です。

中原エリアはこの町で最後。でもここが中原のまん中。殷王朝の首都だったところです。

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今回は高鉄の郑州东站(つまり新駅?)の近くに宿を取っていて、まだこのあたりしか見ていないんですが、よく整った大都会です。

方角つきの高鉄駅の近くって、まだ町がちゃんと形成されていないことも多いんですが、ここはしっかり都市化されています。

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徐州とちがってシェアサイクルが使えるし、道もきれいなので暮らしやすそうかなーと思ったら、ネット回線が夕方になる前から重い(>_<)

宿のWi-Fiだけでなく、中国物理SIMの通信も重いのはめずらしいケースです。

サブスマホのLinkeSIMがいい感じなのが救いです。

中国中原の旅(15日目)-三国志前半の山場@徐州

徐州4日目の朝です。これから郑州(鄭州)に移動します。

徐州といえば、三国志前半の山場となる場所。曹操に攻められそうになったり、劉備が太守(県知事みたいな?)になったり、いろいろあって最後呂布が処刑されたりしたところ。

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劉備が最初に迎え入れられた徐州城があったのは、今の彭城广场あたり。めっちゃお買い物エリアです。

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刘备泉(劉備泉)。日本語の解説文にもあるけど、劉備あんまり関係ないです。

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刘家大院(劉家大院)。あ、これ劉備関連の何かや!と思って調べてみたら、全然関係なかったです。

董卓のいた洛陽・長安との距離感もなかなかのものやけど、劉備たちここから蜀(今の四川)まで行くの遠いわ!

中国中原の旅(14日目)-大暴れする黄河@徐州

徐州3日目の朝です。

黄河故道

徐州の中心部を流れている川は、地図では「黄河故道」だと書かれています。

黄河って、ここから250km以上北の济南あたりを流れている川やし、

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水も全然黄河色じゃないです。

長江と黄河をつないだ京杭大運河のことかな?とも思ったんですが、

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「京杭運河」は町の北の方に別の河川として存在していました。

大暴れする黄河

じゃあこの黄河故道って何?ということで、中華AIのQwen Chatに聞いてみました。

1194年〜1855年の間、暴れた黄河が流路をこっち側に変えていたのだそうです。そんなことあるんや・・・(>_<)

そして淮河に合流。黄河の運ぶ膨大な黄土で河床が上がったせいで、淮河の上流の水が下流方向に流れられなくなって淮河は出口を失います。黄河は淮河の河道を乗っ取ってここでも大暴れ。

1855年に今の北の流路に移ってからも、淮河の元の河口は使えないままで、淮河には人工的な流路が作られて海に出られるようになったそうです。

黄河暴力的すぎるなあ・・・

黄河が南側に来たことで、このあたりの京杭大運河は機能停止。西に迂回路が作られます。そして黄河が北に移ったことで、今度は運河の北部分が機能停止。これでもうこの運河は事実上使われなくなって、物流は海運・鉄道に移行することになったそうです。