ダイアログ・イン・ザ・ダークに参加する(4)-さいごに

この続きです。これで終わりです。

ラベルがなくなる

今回の体験で一番印象的だったのが、ラベルがなくなるという感覚でした。

中で何かを食べたんやけど、入れ物のデザインとかも何も見えないので、ブランドとか抜きでただその食べ物の実体とだけ向き合っている感じ。

それは人もそう。始まる前は

「この人はひとりで参加してはる有閑マダムっぽい人」
「この人は友達といっしょに参加してはる若い2人組」

とか、無意識にそういうラベルを貼ってほかの参加者さんを識別していたのですが、暗闇に入るとどの人がどのラベルの人だったのかが全然わからない。

ただ、その人の実体とだけ向き合っている感じ。

暗闇でほかのメンバーさんたちと打ち解けた雰囲気になってから明るいところに出てくると、たとえばさっき隣に座って昔の駄菓子について談笑した相手がその中の誰だったのかがわからない。

これも、インターネット上の匿名掲示板で誰かとやりとりしている感じに似ている気がします。

楽しむためには

やってみる前は、単に未知なもの好きの人向きのイベントなのかなと思っていたけれど、ただ観察者として参加していると8人の中で簡単に埋もれてしまうので、ある程度の積極性もないともったいないことになりそうな気がします。

誰か興味があれば、いっしょに行きましょうー。

ダイアログ・イン・ザ・ダークに参加する(3)-それから

この続きです。

暗闇で起こること

視覚情報がなくなると、残り4感のうち耳からの情報が状況把握の重要度トップにきます。

「ここ段差があります!」とか
「うわっ!こっち竹やぶ!」とか

自分が触れる範囲外の触覚情報も音として伝わってきて、それを助けに脳の中に世界を再現する状態になります。

まったく未知の感覚のようで、これってマスコミやインターネットも似たような性質を持っているなあとあとで思いました。

会話でたとえばものの形を伝えるときにジェスチャーが使えないというのも、電話だってそうやしなあ。

前に「暗闇とは[実はよく知っていた所]でした。」と書いたのには、そういう意味もあります。

体感時間の不思議

最後にアテンドさんから、今回の暗闇体験が何分に感じたかを聞かれました。

体感的には20~30分。

でも実際には75分でした。

今までの経験上、未知の体験とか自分が何かを選択する場面が多いと、思い返したときにいろんなことがあったように思うからか実際より時間を長く感じていました。

今回もこんな暗闇体験は初めてやし、ささいでもどうすればいいかの選択はいろいろあったので、長く感じて当然だと思っていたのに、まったく逆でびっくりしました。

あとでいろいろ考えて思い当たったのは、「思い返したいろんなこと」の分量が、視覚情報がない分ふだんより大きく目減りしてるからでは?ということでした。

たぶんあと1回続きます。

ダイアログ・イン・ザ・ダークに参加する(2)-だいたい

この続きです。

会場へは、こないだのスケート場の最寄りにもなっている千駄ヶ谷から歩きます。地図を見ると、原宿からも同じぐらいの距離みたい。

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あったあった。

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引くとこんな感じのところ。会場はここの地下です。

概要

今回参加したのは「東北の夏~祭り~」という特別企画。

まったく何も見えないけれど、暗闇の中にそういう世界が再現されているということです。

自分の回の参加人数は、定員MAXの8人。平日だからか、主婦っぽい方が多そうでした。

暗闇には持ち物は基本何も持っていけなくて、視覚障害者のスタッフさん(ここでは「アテンド」と呼ばれている)が案内してくれます。

完全な暗闇に入る直前の薄暗いエリアで、各自ニックネームを名乗りあいます。

中でどういうミッション?があるかについては、具体的にはふれないでおこうと思います。

ねらい

まずこれは、暗さが心に及ぼす作用を利用して何かテーマについて語り合う・・・というようなイベントではないです。

どちらかというと、何も見えない中でいろんなことをやってみて気づきを得るということがねらいなんだと思います。

何に気づくかというのはもちろん人それぞれ。同じ人が参加しても、ほかにどんなメンバーさんがいたかによっても気づきは変わってきそうです。

ほかの参加者さんの気づき

完全な暗闇を出てすぐの薄明かりの空間のテーブルで、気づきについて軽く話していました。

  • 服の肌触りで人を見分られるということ。
  • 前に進むとき、人に触れているだけで安心感があるということ。
  • アテンドさんがめっちゃ頼もしいということ。

確かにそやわー。

そのテーブルの場では、自分は気づきについて何も話せなかったけれど、あとでいろいろ思ったことについて次回。

ダイアログ・イン・ザ・ダークに参加する(1)-そもそも

この前山口に帰ったとき、黒船さんが

「はやしさんにはぜひダイアログ・イン・ザ・ダークを体験してもらって、次お会いしたときに語り合いたい。」

といっていました。

ダイアログ・イン・ザ・ダークというのは、手短に言えば、真っ暗闇で見知らぬ何人かとあたふたするワークショップ。

詳しいことは聞いていないけど、コンセプトだけ聞いてもおもしろくないはずがないと思ったので、今日の代休を使って参加してきました。
(首都圏外郭放水路は9/11に予約しています。探検バクモンに先を越された><)

黒船さんの感想

黒船さんは、うちの会社の研究所の出身です。

研究者らしく、ものごとを言葉で表すのがていねいで、そのことを自分でも自覚しています。そんな彼が、

「なんといっていいかわからないけど・・・感動したんです。」

と、気持ちをきちんと言語化できなかった自分にがっかりしていました。

なにそれ!黒船さんらしくない捨て身の表現やねー。

はやしの感想

終わったあとに、もしよろしければとアンケートがありました。

その最後に「あなたにとって暗闇とは何でしたか?」というような質問がありました。

だいたいこういう直後のアンケートって、出したあとに、もうちょっとよく考えて書いたらよかったなーと思うことがほとんどです。

手書きで何かを書くと自分は↑これと同じ状態になるので。

なのでもうあきらめて、そのときふと頭に浮かんだことをささっと書いたのですが、あとでいろいろ考えてみると、まぐれでいいところを突いていたかもと思っています。

「暗闇とは[実はよく知っていた所]でした。」

「行く」と「帰る」の境目

実家に帰る。
山口に帰る。
東京に帰る。

3つとも最近使った表現やけど、今の自分にはどれも違和感が
ありません。

でも、
3歳まで住んでいた愛知県の春日井市や、
小4のGWまで住んでいた大阪の交野(かたの)市だと
「帰る」じゃなくて「行く」の方がしっくりきます。

そして、一度も住んだことのない和歌山のいなかには、
「帰る」がしっくりきます。

これって、どこに境目があるんやろ?

住んでいた長さじゃないのは、東京や和歌山の例でも明らか。

春日井や交野には、行ってももう誰も会う人がいなくて
愛着がないから?

ということで説明がつけば簡単なんやけど、自分の中で不可解
なのが、姫路の扱い。

今の実家に次ぐ長さの期間(7年)住んでいたし、
これ以上ないぐらい充実した日々を過ごしていたし、
魅力的な人たちにもめぐまれていた。

「帰る」要素が満載なのに、自分の中ではもう「行く」なんです。

ああ、もしかしたら案外つまらないことで、社会的なマーカーが
あるかないかだけなんかも。

実家には両親がいる。
山口には仕事上の所属がある。
東京には住民票がある。
和歌山には本籍がある。

姫路から山口に転勤になって住民票を移した時点で、「帰る」
場所ではなくなった・・・?