ただ者でない人

話の内容というより話しぶりだけで、この人はただ者じゃないなと思うような人にたまに会います。

いつも行っているスポーツクラブでは、Nさんというスタッフさんがそんな人。

スタジオプログラムのインストラクターもしてはるけど、立体的な動きの説明がわかりやすくて、この動きで何をしようとしているのかという説明も論理的で、目的と手段がしっかり備わってるなあと感心していました。

先月Nさんが木曜にマットコアという新しいプログラムを始めはったけど、その初回の終わりに

「今回ちょっと伝えたいことがうまく伝えられなかったです。」

とくやしがってはって、それを聞いてこれ毎回出ようと思いました。

・・・

Nさんは運動工学みたいなのを専門的にやってはる人なんやろなあと思っていたけど、スタッフ紹介の張り紙を見てみると、メインは物販をしてはって、正規のインストラクターさんではないようです。

なんていうか、「ただ者でなさ」にわかりやすい印を探している自分がいます。
「モンドセレクション金賞受賞」とか「本を出している」
とか「耳が聞こえない」とか。

たぶんそれは「なぜただ者ではないと思うのだろう?」と思う気持ちがそうさせていて、探す対象が「わかりやすい印」なのは、わかりやすくないと自分の中のなぜの連鎖の終わりには持ってきにくいからなんかなと思います。

・・・

ヨガをはじめ腹式呼吸を勧める運動が多い中、ピラティスだけはなぜ胸式呼吸なのかという謎が今日Nさんのおかげで解けました。

おなかがふくらんでしまうと、腹筋をしめる運動のじゃまになるからなんやね。

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