学習しないことの強さ

夜明け前。無人島のテントの中でのこと。

網戸の外に何匹もの蚊が止まっているのを眺めていました。
指ではじいてもすぐに戻ってきます。

入り口がないことがわかったら、どこかに行けばいいのに。

しばらくするとのどが渇いてきました。

水がテントの外にあるので取りに行きたいけど、これだとあの蚊たちの餌食になってしまいます。

指ではじいたときに中途半端に「これは危ないぞ」と学習していたら、蚊にとってのこのチャンスを逃していたことでしょう。

学習することが損になる場合があるってことなんやね。

・・・

そもそも学習が損になるってどういうことなんやろ?

逆に学習がどんなときに役に立っているかと考えると、「経験の延長線上のことがこれからも起こる」という場合に限られそうです。

ふと1/fゆらぎのことを思い出しました。

1/fゆらぎというのは、ざっくりと言えば「小さな変化は短い周期で起こって、大きな変化は長い周期で起こる。」という世の中の法則みたいなものです。

空中で燃え尽きるような小さな隕石は毎日のように大気圏に突入してくるけど、恐竜を絶滅させたような巨大隕石は何十億年に1回ぐらいしか落ちてこないというのもそれにあてはまるんかも?

つまり大きなできごとになるほど、以前経験した率が減ってくるわけです。

学習は頻繁に起こる小さなことへの備えにはなるけれど、もしかしたら逆にそれが大きなことへの備えのさまたげになっていることもあるかもしれません。

ものすごく大きなことへの備えは、ものすごく広く学習することでもできるかもしれないけど、まったく学習しなくてもできたりするかも。

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