平和のむずかしさ

今日は広島県の某所へドライブに行っていました。

途中、車でラジオを聞いていると、平和を訴えるコンサートみたいなのがやっていて、その最後で

「人を本気で愛する気持ちがあれば、戦争はきっとなくなる。」

というメッセージが発信されていました。

こういうのを聞くと、平和って「ひとりひとりが少しずつ何かを気をつけていれば大丈夫」という、交通安全レベルの問題だととらえられているような気がするけど、本当はもっとむずかしいものだと思うんです。

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今目の前にいる悪人を殺したら、世界中の核が廃絶されるとします。その人に向けて、引き金が引けるか?

→ 引けない。
そういう甘さがあるせいで、核が廃絶されないのかもしれません。

→ 引ける。
そういう判断で、原子爆弾も落とされたのかもしれません。

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全部話し合いで解決すればいいじゃないかという意見もあると思うけれど、それは「相手は変化できる」と期待したり、「自分は何かを受け入れられる」ということを軽く信じているからだと思います。

たぶんそれは、当事者じゃないからそう言えるんだと思います。

これがたとえば、自分からふった元彼・元彼女に復縁を求められているシチュエーションだとすると、話し合いで受け入れるのはよっぽどのことがないと無理で、実際のケースでもそうなっていると思います。

それは、相手がこれから変化することを信じていなかったり、自分が何かを受け入れることを拒んだりしているからです。

相手の変化を信じなかったり、自分が何かを受け入れることを拒んだりしうる状態では、誰も「話し合い神話」を出す資格はないと思うんです。

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戦争の悲惨さを伝える施設はたくさんあります。そこでは

「戦争は苦しいからあってはいけない。」

ということを言っています。それなら

「失恋は苦しいからあってはいけない。」

と言っていいか?

何かに反対したいときに、「苦しいからあってはいけない」というロジックは一般的には成り立たないと思います。

殺し合ったり、飢えに苦しんだりというのは、自然界では当たり前のことだったりもします。

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反戦について本気で考えたいなら、こういうところが議論のスタートラインになるんじゃないかなと思っています。

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