「想定外」が生まれるとき

「科学での想定を超えた」みたいな表現をここのところ
よく聞くけれど、それってほんまかなって思います。

学生時代は理系の研究室的なところにいて、そのあと
科学とはあまり関係ない仕事についているわけやけど、
そこで一番ギャップを感じたのは想定についてでした。

たとえば「これからシステム移行をする」ということに
ついてお客さんに説明をするとき、その前に上司に
レビューを受けます。

そこでいつも聞かれたのが

「このシステム移行に100%問題がないと言えるのか?」

ということ。(姫路時代の話です。)

100%うまくいく保証なんてあるはずがないです。

何かが壊れたときのために予備を用意していても、
予備もいっしょに壊れる可能性だってゼロじゃない。
予備をいくつ増やしても、それらが全部いっしょに
壊れる可能性が0になることはない。

壁に向かってボールを投げると、ほぼまちがいなく
跳ね返ってくるけれど、量子力学的にはボールが壁を
すっと突き抜けることだってありえるわけです。

それでも

「自分がこれから移行しようというときに、100%と
言えなくてどうするんだ!」

というようなことを言われるので、うまくいかない可能性を
しかたなく「想定外」にして、存在しなかったかのように
ふるまうしか前に進む方法がなかったのです。

一般的には「そりゃないだろう」と思われるぐらいの
広範囲のことを科学は「ありうる」と想定しているけれど、
純粋な科学に直接関わらない利害関係者の関与で「想定外」が
作られたりするのです。

「想定外」への批判が直接科学に向けられるのはちょっと
ちがうんじゃないかというのが1つ。
利害関係者によって作られる「想定外」にもある程度
しかたのないところがあるというのがもう1つ。

地球には年間かなりの数の隕石が地表に到達していると科学は
想定しているけれど、「想定外」を簡単に批判する人の中には
隕石にぶつかることを「想定内」にしてみんなを説得して
何かの予算を取れる人はいるでしょうか?

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