おとならしさ・おじさんらしさ

今どきの若い者は・・・

と、年下の世代を悪く言う言葉は、古文書にも出てくると前にどこかで見ました。

それとは逆に、「自分は○歳になったけど、子供のころに思っていた○歳像に自分は追いついていない」という話もよく聞きます。

身の回りの40近い人も、なんだかおじさんっぽくないです。

20代の人と30代の人と40代の人と50代の人がちがうのは、生きてきた年数がちがうからというのももちろんあるけれど、若いときを過ごしてきた時代がちがうからというのも強く作用してそう。

「深み」とか「疲れやすさ」みたいなものは、生まれた時代に関係なく年数とともに増していったりすると思うけれど、「どんな文化(習慣?)を持っているか」みたいなものは、年齢より生まれた時代の方に縛られそうです。

これまで「おとなっぽい」とか「おじさんっぽい」みたいに年齢にひもついていると感じていた感覚のけっこうな部分が、実は文化(=生まれた時代)で判断してたんじゃない?と思うことが最近ちらほらありました。

「ドラゴンボールの話を楽しそうにしてるんだからおじさんじゃない」みたいな。

平和な時代が続くと、いろいろなことが自然と便利になっていきます。昔は大変だったことが、大変じゃなくできるようになります。

つまり、生まれた時代が前になるほど、若いころの平均的な経験がより「大変」であるはずで、それに応じて文化や価値観が変わってきます。

だとすると、「今どきの若い者は・・・」という言葉が出るのは構造上しかたがない。背景が変わるので、平均的な「今どきの若い者」が平均的な「自分が若いころの若者」と同じになる方がおかしい。だから古文書の時代からずっと言われ続けているんだと思います。

「自分は○歳になったけど、子供のころに思っていた○歳像に自分は追いついていない」と思っても、「子供のころに思っていた○歳像」は歳を重ねた先にあるものじゃなく、時代のちがう異文化の人だからちがって当然なんじゃない?って近ごろは思っています。

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