押しつけと責任

この前「押しつけって、どこまでありなんかなー」という
話をしていました。

今の自分のスタンスは、

(1)目的の押しつけはしない。
(2)相手の目的にかなう手段の押しつけはありだと思う。

(詳しい例などは、↑ここのコメント欄参照。)

という感じです。
これだと、どんな国のどんな文化の人にも受け入れられると
思うからです。
(そして実際受け入れられてきたと思っています。)

でも、このスタンスを完全無欠なものだとは思っていなくて、
それは全員がこのスタンスだとたぶん世の中が回らないから。

お風呂に入りたくない(=体をきれいにしたいという目的を
持っていない)赤ちゃんも、無理して洗う方がよかったり、

勉強したいと思っていない(=勉強がその人の目的と現時点で
合致していない)子供に対しても、義務教育という押しつけが
あった方がよかったりという事実があるので。

つまり(1)の「目的の押しつけ」の中にも、ありなものが
ありそうなんやけど、その線引きがよくわからないなあという
話をしていました。

すると、教育関係の仕事をしているある人から「責任」という
単語が出てきました。

その概念を持ち出すとなんとなく説明がついてしまうけど、
たぶん自分は「責任とは何か」という整理がついていなくて
ちょっともやもやしてしまいました。

責任って何だろう?

地球に自分ひとりしかいない場合には存在しないものだと
思うから・・・・
人のために何かをする理由みたいなもの・・・?
いや、この「人」というのは相手のことというより、社会と
おいた方がしっくりくるかな。

責任とは、社会の目的に沿うための圧力のことかな。

自分がそういう行動を取るかどうかはともかく、
この「責任」を使ってスタンスを修正すると・・・

(1)目的の押しつけは基本なし。
ただし、社会の目的を相手に押しつけることはあり。
(2)相手の目的にかなう手段の押しつけはあり。
(3)社会の目的にかなう手段の押しつけはあり。

こんな感じになるかな。
確かにそういうスタンスはありのような気がします。

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