小学校のときに平和学習というようなのをやった覚えがあるけど、
自分は蚊帳の外だと思っていました。
「世界50億人が全員自分だったらさぞ平和なのに」みたいな気で
いたけど、平和ってそんなに簡単なものじゃないと思います。
自分と誰かの間で何か問題があったとき、
- 自分が変化する
- 相手が変化する
大きく分けるとこの2つの解決策があります。
「相手のいびきがうるさくて自分が眠れない。」
という問題の場合は、
- 自分が変化する → 自分が耳栓をする
- 相手が変化する → 相手がいびきの治療をする
みたいになるわけです。
実際には
「自分が片耳だけ耳栓をして、相手がいびきの音を半分にする手術をする。」
みたいな折衷案を探っていくわけやけど、
お互いが受け入れられる変化の許容量が小さくて、折衷案が
見つけられないと、そこで戦争が起こるわけです。
つまり、平和の難しさは、自分が変化することを受け入れる難しさ
だと思うのです。
「操作が手になじんで、ちがうブラウザに乗り換えられない」
なんて言ってませんか?
過去に多くの人を殺しているのは、それに似た気持ちだったりします。
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