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- 日記さん パプアニューギニア旅行記(2)-発砲事件
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(3)-登山口まで
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(4)-登頂率
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(5)-雨期の影響
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(6)-アタック前夜
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(7)-アタック日その1
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(8)-アタック日その2
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(9)-アタック日その3
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(10)-アタック日その4
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(11)-登山装備
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(12)-極楽鳥
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(13)-パプキンとヒクイドリ
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(14)-現地の言葉
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(15)-モコモコとマッドマン
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(16)-家を焼く
- 日記さん パプアニューギニア旅行記(17)-ミカタさん
この続きです。
パプアニューギニアでは、20世紀中ごろぐらいまで部族闘争が盛んでした。

「戦いの前には豚を殺して食べて、ここでその豚の頭を精霊に捧げていました。」
戦いのとき、女性と子供は「女の洞窟」というところに、作物の種とかとともに隠れて、村が焼け野原になったあとに再生できるようにしたのだとか。
人間用の矢には「返し」がついていて、抜くと内臓が出るようになっています。
そして病院には、今でも弓矢専用の科があるのだそうです。
部族闘争は今では法律で禁止されていますが、法律より慣習が勝つということで、なくなってはいないようです。

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