正解なんてないの意味

最近「正解なんてない」っていう表現を何度か聞くことがありました。

それを言えば何でも許されるというか、誰にでも共感してもらえるんじゃないかとか、安易に使われすぎちゃうかなあって思っていたら、前にこんなことを書いてたのを見つけました。

ああ、なるほど。このときは学校と社会のちがいでこの表現が出てきてたんやね。

「正解がない」にはいくつかパターンがある気がするけど、どんなのがあるやろか?

1.ゴール設定がされていない場合

今日のお昼はカレーにするか、親子丼にするか。

「カロリーをより多く取るのがよい」とか「食べたあとに脳内により多くドーパミンが分泌されるのがよい」みたいな1次元的な判断基準があれば「カレーが正解でした」とか言えそうやけど、それがなければ正解を存在させること自体ができなくなります。

世の「正解がない」の大部分はこのパターンのような気がします。正解の話をするのに基準を決めてないって、それさぼってるだけかも?

2.どこかにゴールはあっても到着した判断ができない場合

人間の100m走のタイムはどこまで縮められるか?

今の世界記録の9秒いくつよりは速くて0秒よりは遅いので、この間のどこかに正解はあるはずやけど、誰かが答えを言ったときにその正しさを判定することができないという場合。
(抜かれれば不正解だとわかるけど、抜かれなかったときに正解なのかそうでないのかがわからない。)

3.ゴールはあっても道筋がどこにもない場合

X+1=X+2
を満たすXを求めよ。

ある目的を設定したときに、それを達成するための手段が存在しないという場合。数学で言う「解なし」。

いろいろな兼ね合いで何かを犠牲にしないといけなくて、80点なら取れるけど、100点にはどうしてもできないみたいなのもここに含まれるかな。

3とは逆に、ゴールへの道筋が無数にある場合にも「正解なんてない」って言いそうやなあ。

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