桑田佳祐に「もっと澄んだ声は出ないの?」とクレームをつける人がいたとします。
仮にこういうクレームをつけられても、桑田佳祐は澄んだ声を出そうとはしないと思います。
「勉強をしなさい!」といわれた学生が、「勉強をしないのが自分の個性だ」というようなことを言ったとします。
自分が「何かをしない」とき、それには「勉強をしない個性」的な理由しかつけられなくても、「桑田佳祐の澄んだ声」的なものだとして片づけてしまっていることがわりとあるような気がします。
「しないこと」のどこまでを「桑田佳祐の澄んだ声」に区分けしていいのかを考えていると、桑田佳祐だって澄んだ声を出してもいいんじゃないかと思えてきます。
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