偽善者のカウンターパンチ

何かボランティア活動をしている人に、その活動をしている理由を聞いたとき、

「誰かに喜んでほしかったから」とかではなく「自分のためです」

とはっきり言う人がいます。

それは本当にそうなんだと思います。

仮に「誰かに喜んでほしかったから」と思っていたとしても、それは「誰かを喜ばせることで自分がうれしくなりたいから」だと言えると思うので。

その先の話。

「誰かに喜んでほしかったから」と思っているのに「自分のためです」と答える人は、なぜ「誰かに喜んでほしかったから」と答える選択をしなかったのか?

これには2つパターンがあるかなあと思います。

まず1つ目は、「誰かのために」という高尚っぽい動機を持つに至っていなくても、行動に出る人をただ増やしたいからという場合。

もう1つは、偽善者だと言われることを事前に封じておきたいからという場合。偽善者かどうかなんてどうだっていいので、その議論に関わる時間を使いたくないということもあるかと思います。

この「偽善者呼ばわり封じ」については、知略系のやりとりでも似たようなものがあるなあと思いました。

たとえば「自分の言うことを信じてほしい」という場面で、ただ善意を伝えるのではなくて、損得で考えても自分はその選択をするという言い方をするみたいな。

本当は損得なんてどうでもよくて、善意で思っていたとしても、「人間は損得で動くから善意なんて信用できない」と思っている人をも納得させるために損得を持ち出すみたいな。

自分のためとか損得とかを判断基準として口に出したからといって、その人が本当にそういう人とは限らへんのやろなあ。

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