かゆいところにだけ手が届いている言葉

もうすべてのことが言い尽くされてしまったんじゃないかと錯覚してしまうぐらいに、今の世の中は言葉であふれています。

そんな中、漠然と思っていることがあります。

たとえば何もないところから、日本語や英語ではない、自分のオリジナルの人工言語を作ろうとするとします。

名詞にあたるようなものがないと、できごとの主体を表せないから、こういうのは作っておこうと。

文脈のつながりを明示するのに必要だから、接続詞は作っておこうと。

・・・

こんな感じで理由をつけて必要な品詞を挙げていくと感じるけど、「もうこれ以上は絶対に必要ない」と言い切れるポイントがないのです。

「この世界が3次元だから、できごとを表すための品詞の数はいくつで必要十分になる」みたいな、宇宙のつくりからの制約が本当はあるのかもしれないけど、そういう話は今まで聞いたことがないです。

本当のところは、

「人類全体で言いたいことがこのぐらいまでしか思いついてないから、品詞の数が今はこのぐらいでとどまってる。」

というのが正しいんじゃないかという気がしています。

いわゆる「今の気持ちは言葉にできない」というのとはちがって、全く思いつきもしない領域が手つかずで残っていて、文法の制約でそこを語ることも考えることもできないってことが実はあるんじゃないかと思うわけです。

1000年後には文法も進化して、そういうところもいくらか埋まっているのかも。

1000年前の文法では、どう組み合わせても言えなかったことが、今では言えるようになっているのかも。

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