高校のときに、ザ・フライという映画に出てくる物質転送装置を見て思いついたことです。
こんな実験をやってみたとします。
—実験1—
自分の体がどんな原子配列になっていて、それぞれがどんな向きにどんな速度で動いているのかを記録する。
自分を原子にまで分解して、ワープ先に持って行く。
記録通りに、原子を組み立てる。
(1)元通りに「生きた状態」にならない場合
物理的には同じになっているのに同じにならないということは、そこに差を生み出す物理的要因以外の何かがあるということで、その「何か」を「魂」と呼ぶことにします。
(2)元通りに「生きた状態」になった場合
さっきとはちょっとちがう実験をします。
—実験2—
自分の体がどんな原子配列になっていて、それぞれがどんな向きにどんな速度で動いているのかを記録する。
自分を原子にまで分解する。→原子はこのまま廃棄
ワープ先にある原子を使って、記録通りに自分を組み立てる。
(1)元通りに「生きた状態」にならない場合
原子の種類は同じなのに実験1と同じ結果にならないということは、そこに差を生み出す何らかの要因があるということで、その「何らかの要因」を「魂」と呼ぶことにします。
(2)元通りに「生きた状態」になった場合
実験2のワープ前の自分の意識について考えると、ワープ先で何が起こっていようと、自分は原子にまで分解されて廃棄されただけなので、自分はただ死んだのと同じになります。意識はそこでとぎれるはずです。
そこで、実験1の自分の意識について考えてみます。
これは本人にしか判断できへんけど・・・
(1)自分の意識がワープ前とワープ後で連続していた場合
実験2とのちがいがあるということで、そのちがいを生むものを「魂」と呼ぶことにします。
(2)実験2と同じく自分の意識がワープでとぎれる場合
ワープ前の自分とワープ後の自分が、はたから見てまったく何のちがいもないのに意識上別物になっているということで、その主観的なちがいを生んでいる元を「魂」と呼ぶことにします。
終わり。なんとか思い出せました。
これが理論的にどうなのかというのはおいといて、昔こんなことを考えていたということを電子データに残せたのがちょっとうれしいです。
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