人の話を聞くということ

最近、人の話を聞く会社の存在について知って気になったので、昨日さっそくそのオンライン説明会に参加していました。

参加者同士でお互いの話を聞き合う場があったりしておもしろかったんですが、それはそれとして。そのあと全然別件で、初めてお会いする方にいろいろ話をうかがう機会もあったりしておもしろかったんですが、それもそれとして。

人の話を聞くということについて、この機会に自分の中で整理をしてみます。

「聞き指数」仮説

自分は人と会ったときには、聞き役に回ることが多いです。

関西人には「ぼけ指数」というパラメータが存在していて、ふだんぼけ役を担当している人でも、より「ぼけ指数」の高い人の前ではつっこみ役になる傾向があると思っています。
(ダブルぼけになることもあるけれど。)

それと似たような感じで、人には「聞き指数」というパラメータがあって、話すのがあまり得意でなくてふだん聞き役になっている人でも、より「聞き指数」の高い人の前では話し役になる傾向があると思っています。

なので、これまでの聞き役になる頻度からすると、うまいへたとかでなく、自分の「聞き指数」はそれなりに高い方なんだろうなあとは思っていました。

自分の中での「聞く」ということ

自分はたぶんものごとの飲み込みがあまりよくない方で、肌感覚で納得いくところまで噛み砕かないと「わかった」と思えないところがあります。ちょっとしたところで引っかかりを覚えてしまうので。

それなのに、いわゆる「お勉強」が苦手にならずにすんだのは、噛み砕くことが苦手でなかったからだと思っています。

知りたいことを体に取り込むプロセスとしては、「お勉強」も人の話を聞くことも共通していて、人の話を聞くときにはその「噛んで飲み込む」作業を共同で実演しているような感じに。自分でそうしようと意識をしているわけではないんですが、結果そうなってしまうという。

それがいいことなのか悪いことなのかはわからないけれど。

傾聴技法について思うこと

世の中には傾聴技法と呼ばれるものがあるんですが、個人的にはそれってどうなんだろうと思うところがあります。「あいづちを打つ」とか「相手の言葉を繰り返す」とか。

最悪話を聞いてなくたってできることがたくさん含まれているので、こちらが「AはBだと思います!」と自称傾聴技法マスターさんに言ったとして、相手が「それわかります!」と返したとしても、こちらが「AはBではないと思います!」と反対のことを言っても同じ返しをするんじゃないかと勘ぐってしまいます。

そうなると、この人に言ってもしかたないかと話す気力がしぼんでしまうことが自分にはあるんです。

なので、自分が傾聴される立場だったら、

  • 噛んで飲み込むプロセスをちゃんとやって見せてほしい

が相手にやってほしいことです。正しい傾聴技法があるとするなら、これ1つだけじゃないかなと。

その中で「えっ、そうなの?」と思うことがあったら、無理にあいづちを打ったりせずに、「えっ、そうなの?」と言ってほしいです。

たぶんそういう「いわゆる傾聴技法」殺しが

ぼけ・つっこみの文化なんかなあ。

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