日本の夏

回想シリーズ第28夜。
今回のはこれで最後です。

2001.07.11

タンザニア21日目。

大使館の方の手続きは手早く、もう今日の午後にもタンザニアを発つことになりました。

大使館にチェックアウトの報告をして、シンザへ行ってみんなにお別れをしました。

「今度はいつ来てくれるの?」

・・・

ダルエスサラームの空港の職員は帰国のための渡航書を見たことがないので、1人で行くと出国手続きで突き返されるだろうということで、領事の下忠さんがついてくれはりました。

そこで水戸黄門の印籠さながらの外交官パスポートの威力を見ました。

やっぱりこのひらひらのクリーム色の厚紙じゃあかんのか・・・

2001.07.12

大使館御用達の航空会社がブリティッシュエアウェイズだったので、今回の帰国フライトはロンドンを経由します。

早朝にロンドンのガトウィック空港に着きました。

ここから成田への飛行機はガトウィックではなくてヒースローから出るので、イギリスにはちょっとだけ入国します。

空港間の道の脇には、テレビで見たことがあるようなヒースの丘(?)の景色が広がっていました。

ヨーロッパってこんなところなんや・・・こういう国が、かつてアジアやアフリカを治めてたんやな・・・

成田への飛行機を待つゲートは日本人であふれていて、案内の放送も日本語でした。

2001.07.13

成田着。日本はすっかり真夏になっていました。

タンザニアはかろうじて南半球の国なので、今の季節は冬で、日本の秋のような気候です。

毎日もれなく40℃を超す暑さだったオマーンを思い出しながらも、これってやっぱり日本の方が暑いんちゃう?

後日談

帰国して何週間かは手のふるえがあったけど、病院での検査でも特に問題なしという診断をもらいました。

オマーンからタンザニアへは、往復チケットを買っていたけど、なくなったウエストポーチにはその復路のチケットが入っていました。このおかげで、保険でオマーン-タンザニア往復分のお金が返ってきました。

98720003
シンザへは2002年2月に再訪。元気だった子も何人かは亡くなっていました。

コメント

読み込み中...