奈良の放火のこと

奈良の放火の話で、「高の原が最寄りの私立高校」ってなんか知ってる気がするなあ。

と思っていたら、職場の人も何人か感づいたようで、

「あの学校でまん中ぐらいってどんなもんや?」

とか聞かれたりしました。

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人殺しって、誰でもやってしまう可能性があると思います。
極端なシチュエーションを考えてみるとわかりやすいです。

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自分は分厚いガラス張りの独房に入れられています。

ほかにもいくつか同じような独房が見えていて、その中には知らない人もいれば、自分の家族も入っています。

独房の外には、何も考えずに規則正しく5秒に1回ボタンを押して、端の独房から順に毒ガスを流し込んでいる人がいます。

独房の外の人の首には、リモコンの爆弾が巻かれていて、そのスイッチは自分の手元にあります。

独房の外の人は目隠しと耳栓をしていて、独房の中の人が取引を持ちかけたりはできません。

そうするうちに、向こうの独房の人からどんどん殺されているのが見えて、いよいよ自分の身近な人や自分自身の独房にも毒ガスが入れられようとしています。

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たぶんこういう状況にまで追い詰められれば、ほとんどの人がリモコン爆弾のスイッチを押すという選択をすると思います。

ここで大事なのは、実際には追い詰められた状況になくても、「追い詰められた状況に自分がいる」とその人が思えば、ふつうは絶対にしないようなことができてしまうということです。

ガラス張りの独房の話でいえば、まわりの独房がリアルな3D映像であったとしても、同じ選択をしてしまうということです。

本当は独房にこっそり抜け道があったとしても、それに気づかなければ、同じ選択をしてしまうということです。

そんな感じで、今回の事件は「世界は自分と親と学校だけ」というまちがった意識を持ってしまったことが原因のような気がします。

そのまちがった意識というのは、「近くのものは大きく見える」という誰でもふつうに持っている意識のあり方から来ているもので、決して特殊なものではないと思うのです。

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