「勉強は何のためにするのか?」というのを学生さんにどう説明すればいいのか?
これはちょっとでも考えたことがある人ならわかってもらえると思うけど、めちゃ難しい問題です。
折にふれて何度か考えてきたけど、今まで自分なりに考えてきたことの途中経過をまとめてみたいと思います。
誤解を恐れず雑に表現すると、
「ある程度は自分のため。それ以上は社会のため。」
かなと。
そもそも「難しい」とは?
「微分積分とか、社会に出て使わないのにやっても意味ないやん。」
ということを高校生に言われたとします。これに対して、
「微積で身につけた論理的な考え方は別の場面で生きてくる。」
みたいなのが標準的な答えとして用意されてたりするけど、これはいまいち説得力がない気がしてます。
なんでそう思うかというと・・・
たぶんほとんどの人が、大学院レベルの位相幾何学とか 熱力学方程式とかは勉強していないわけで、もしこれを強制されたら「そんなの使わないから」といって拒否すると思います。
で、「位相幾何学や熱力学方程式で身につけた論理的な考え方が別の場面で生きてくるから。」なんて言われても、「よし、じゃあやろう。」と思う人はほとんどいないと思うからです。
「ある程度は自分のため」って?
途上国の子がめっちゃ学校に行きたがる理由でもあると思うけど、勉強には自分の生活に直結する部分があるわけです。
読み書きができないと、社会生活に支障が出る。通訳をするなら、外国語の勉強が必要とか。
そういうわかりやすいところが「ある程度」の部分。ここはあまり説明がいらないと思います。
「それ以上は社会のため」って?
野球選手とかケーキ屋さんとかが子供に人気の職業みたいやけど、みんながその夢をかなえたら、日本中が球場とケーキ屋さんだらけになってしまいます。
ケーキもおいしいけど、ときどきは甘くないものも食べたいですよね。
反対に、「積極的に目指す人だけでは数が足りないけど、社会を支えるためには絶対必要」という仕事が必ず存在して、しかもそういうところに限って微積が必要だったりすることがあるわけです。
だから社会としては、そういうところに人を確保しやすくするために、9割9分無駄になっても、微積ができる人を量産しておく必要があるわけです。
個人にとっては必要なくても、社会にとって必要ということです。
・・・
と、いくら理屈をこねても、人は理屈だけで動くものではないです。 理屈だけで動くのなら、誰もが禁煙に成功します。
理屈で動かないからこそ、社会に貢献するつもりもなく微積を勉強する人がいるんじゃないかと思うわけです。
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