遺伝子操作は是か非か

ふつう生き物って、勝てるものが生き残って、そうでないものが子孫を残さず死ぬことで、変化する環境に種全体を合わせていきます。

前にも考えたけど、死というものは種がどっちへ行くかのハンドルを切るために必要な行為みたいです。

そんな中で、人間は珍しいやり方をしている気がします。

「みんな生きるように。」

そして環境の変化には、死ではなく道具を使って対応しています。

ふつうの生き物ではありえないけど、体毛の薄い人でも寒い地域で暮らしていけます。

この状態を長く続けていくと、環境が変わってもほかの生き物とちがって体が変わらないので、体が環境からどんどんかけはなれていきそうです。

それでもずっと「みんな生きるように。」を貫くには、道具で環境自体を変えてしまうか、死以外の方法で種全体の体を方を変えることが必要になってきそう。

「道具で環境を変化させるなんてとんでもない!」を捨てるか、
「遺伝子操作なんてありえない!」を捨てるか、
それとも「みんな生きるように。」を捨てるか。

どれか1つが捨てられることになるのを見たときは、

「ほかの2つが捨てられなかったからなんだな。」

と思わないといけないのかもしれません。

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