とても理屈っぽい話

「理屈っぽい」と人に嫌がられたことがあって悩んでいるという人に何人か会ったことがあります。

何もまちがったことを言っていないはずが、

「おまえは理屈っぽいぞ!」

と学校の先生から怒られたとか。

個人的には、理屈っぽいからという理由で人をいやだと思うことはなくて、逆に「ちゃんと理屈っぽい人」は理不尽なことを言わないので安心できます。

そしたらなんで嫌がられるんやろか?

・・・

そのしくみについては1つ思い当たることがあります。
それは好き嫌いは理屈じゃないという話。

たぶん理屈って理不尽の反対で、無意識に歓迎されてるものやと思うけど、話のつくりをさーっとざるで洗って最後に

「理屈 vs 好き嫌い」

という芯が残るような話の場合には、そこで理屈を押すと嫌がられるってことになるんだと思います。
(このパターンだけじゃないかもしれへんけど。)

「無菌で栄養価が高いように料理したんだから、このゴキブリ食べなさいよ。あんた栄養失調なんだから!」

みたいな。

夏目漱石の

智に働けば角が立つ。
情に棹せば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。

という言葉も、

智に働けば・・・「ゴキブリ食べなさいよ!」
情に棹せば・・・「いやなら食べなくていいよ。」
意地を通せば・・・「食べたくない!」

みたいなことを指してるんかな?

とすると、人の世を住みやすくするためにできることは、「智の角をまるくすること」・・・かな?

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